2007年5月8日火曜日

兼六園(続編)

昭和2年6月鉄道省発行の「日本案内記・中部編」によると、兼六園は文政2年前田齊廣の開いたもので、洛陽名園記の「園圃之勝不能相兼者六、務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望、兼此六者惟湖園而己」と言う句に因り命名したものである。松平楽翁筆「兼六園」の扁額は今は園内の倉庫に納めている。

2007年5月7日月曜日

熟成前?パイナップル


5月7日月曜組、パイナップル描画2回目です。
仕上げ、熟成させるときですが、描画未熟のため
未熟のまま、いただくことになりそうです。
旨味は全く判りません。栽培しましたが、未熟のまま
販売することにしました。

2007年5月3日木曜日

3枚の写真を一列に並べる


3枚の写真はどうなる?
今日のブログの補講の課題です。

2007年5月1日火曜日

特別名勝「兼六園」の名付け親について

加賀藩第十二代藩主前田斉広の豪華な
隠居所が完成したのは文政5年斉広は白河藩主・白河楽翁に庭園の
命名を依頼。楽翁は中国宋の時代の詩人・李格非の書いた洛陽名園記
の文中から採って、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼備する
という意味で「兼六園」と命名した。
有料の時代になって園のパンフをいただき、沿革でその由来を見、
はじめて知る。
写真左は能登半島地震でも倒れなかった有名な「徽軫灯籠」の反対側に
ある「雁行橋」別名「亀甲橋」。昔は自由に渡れたが、いまは写真のように
柵があり、眺めるだけである。

2007年4月28日土曜日

金沢でのクラス会


4月26日夕刻より金沢で母校のクラス会に出席。
卒業者26名、12名が逝き、比較的元気なもの
5名のミニ集会となる。午前中兼六園を散策。
戦後期日は不明なるも今は入園料300円、
「金沢音頭に、金城麗澤百万石のお城なつかし
・・・・・」とある金城麗澤を初めて見る。


金沢遊学中は園は誰もが自由で憩いの場でした。
絵はがきでその名は知っていましたが、その場を
はじめて訪れた次第。ピントが合っていないので、
説明によると「昔芋堀藤五郎がこの沢で砂金を洗い
金洗沢と呼ばれていた。これが金沢の地名の起こり
である。」とある。少し説明すれば、芋畑で芋を掘り
この沢で芋を洗っていたら砂金が出て事で「金洗い
沢」とされた。とのことです。
有料の兼六園の中ではなく少し離れた園の外に
あり、その近くに金沢神社が金沢名発称地の
神として鎮座されておられます。

2007年4月16日月曜日

これがパイナツプルに?


16日の月曜組、末岡先生第三回目の講座、「リンゴ」の次の「パイナツプル」

の描画第一回目の日でした。これがおいしい「パイナツプル」に育つのでしょうか。

自信のない栽培画家です。次の第二回で美味しくしたいものです。

2007年4月2日月曜日

リンゴ画の完成


「ペイント倶楽部」末岡先生の特別講座2回目で「りんご」の画を完成?で終了しました。先生ありがとうございました。